自閉症スペクトラムの息子の共感性を高めた(と思われる)取り組み
こんにちは
ずぼら母ちゃんこと渡辺さつきです。
今日は共感性を高めるためにしていた取り組みについてお話したいと思います。
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アスペでも共感性の高い息子
前回、自閉症スペクトラムのある人だって、共感性は高いんだという事を主張しました(^^)
そして、もし共感性が低く感じるとしたら、それは、考えの違いからくる結果であって、共感性の低さそのものが原因ではないのではないかという考えも書きました。
それは、今までに柚樹と過ごしてきた実感です。
そんな共感性を表に出してくれている柚樹と今までどのような取り組みをしてきたのかをご紹介します。
前回も書いたのですが、共感性の根本には、思いを同じにすることの心地よさがあります。
そこで、とにかく、柚樹の喜ぶことは積極的に行って、一緒に楽しんできました。
スキンシップで心地よさを満喫する
特に心がけたことは、スキンシップです。
感覚過敏のあるお子さんの場合、もしかしたら、スキンシップ系は難しいかも知れませんが、その他の取り組みは参考になるかもしれませんので、下の項目を読んでみてください。
柚樹の場合は感覚過敏で触られるのが嫌というのはほとんどなかったので、いろいろなことができました。
- ハグはもちろん大好き。だから何かあるたびに、ぎゅーっと抱きしめます。何もなくても、ハグします。
それから、手を持って足が浮き上がるくらいぐるぐる回すのも大好きでした。かなり疲れますが、一緒になって満面の笑顔でぐるぐる回ります。 - 足首を持って、逆さにつり上げられるのも大好きでした。私の体力があるときには、足首を持ったまま、ぐるぐる回りました。(周りに物がない状態で、しっかり足首を握らないと、怪我しますので、気をつけてください。)
- 高い高いも定番です。
- それから、何がいいことがあった時には、一緒に「やったー!」と万歳をして、顔中にチュッチュをしました。
どれもこれも、大喜びで、もっともっと!!とせがまれました。
ボールや風船を使って一緒に遊ぶ
ボール遊びや風船遊びもしました。
ボールを転がしたり投げたりする時には、「ポーン」って言ってから転がしたり投げたりします。
これは、相手に今から転がすよ(投げるよ)、という合図を送ることになりますし、受け取るときには、今からボールが転がってくるよ(飛んでくるよ)という合図になります。
ボールとともにことばのキャッチボールの練習にもなります。
そして、楽しく遊んだ後は、楽しかったね~言いながら、ムギュッとハグします。
ボールがある程度できるようになったら、風船でもトライします。
風船は難易度が高くなりますが、とてもお勧めです。
ボールに比べて、思った所に飛んでこないので、風船の動きに合わせて動かなくてはならないからです。
この風船の動きに合わせるというのがミソです。
はじめは近い距離から、だんだんに離れて行く。投げて渡すことから始めて、打ち合いに発展させる。
そんな感じで、無理なく、楽しく遊んでみてください。
気持ちを代弁して言ってあげる
柚樹が美味しい物を食べている時には「美味しいね~」と笑顔で話します。
柚樹が痛い思いをしている時には「痛いね~」と、泣きそうな顔で話しかけます。
柚樹が悲しい思いをしている時には「悲しいね~」と悲しそうな表情を作って話しかけます。
柚樹がうれしそうにしている時には「やったぁ!うれしいね!!」と大げさに喜びます。
柚樹が楽しそうにしている時には「楽しいね!!」と、一緒に楽しみます。
ことばを増やす取り組みの時にもお話ししたと思うのですが、共感性を伸ばす意味でも、柚樹の気持ちを代弁してあげるというのは、有効だったと思います。
本人ではないのでわかりませんが、でも、私たちだって自分が思っていることを他の人が言ってくれれば(つまり共感してくれれば)、ああ分かってもらえているんだと、安心しますよね。
そういうことの積み重ねで、ことばも増えるし、信頼関係も強まります。
信頼関係というか、安心感というか、そんな感覚が身についてくると、それが愛着形成にもつながると思うんです。
そして、その上に共感性が乗っかってくる…。
誰かといると非常に心地よい。
まずは、この感覚を実感させてあげてくださいね。
目の前の我が子になったつもりで考える
今書いたことは、私が心がけて行っていたことの一部です。
っていうか、全て根本は一緒で、柚樹に全面的に寄り添うっていう事なんです。
柚樹になったつもりで接する、これに尽きるのかなと思います。
そうはいっても、幼稚園に入ると、だんだん全面的に寄り添えない部分も出てきます。
でも、しつけ上どうしても、柚樹の思い通りにさせてはいけないという部分以外は、できるだけ寄り添ってきました。
これは、中1の現在も同じです。
成長につれて、しつけの部分はどうしても増えてきます。
人としてやってはいけないことはしっかり教えるという視点も、人間社会で生きていくためにはもちろん重要なことなので、その時その時の場面に合わせて、寄り添ったり、叱ったりの繰り返しです。
たとえ、障害というものがあっても無くても、それは同じ事です。
叱るっていうのが、また難しいのですけれど…(笑)
叱ることについては、また、そのうち考えを記事にまとめてみたいと思います。
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